アイルランド公演 紀行 芝辻仙助/廣瀬功洋/池田政人
平成29年4月18日~5月8日の21日間で日本・アイルランド国交60周年記念事業と観光を兼ねた3週間と長期間事業を行った。
参加者は山口能装束研究所から2名、「仙助流南京玉すだれ」から5名の合わせた7名の構成。出発は広島空港から羽田空港に行き、羽田空港からフランクフルト空港を経由してダブリン名空港に到着した。今回はプレミアムエコノミーにしたので大きなトランク2個まで可能だった。重量オーバーを気にしない搭乗手続きを行った。広島から乗せた荷物はダブリンまで手にすることなく運ばれ楽な移動であった。 特に羽田空港では搭乗の列に並んでいると呼び出しのアナウンスで我々メンバー全員の名前を呼ばれ、今回はビジネスクラスに変更させて頂きますとのことでフランクフルトまでラッキーな移動で幸運な幸先の良い旅立ちになった。
行程は、東京~ダブリン~ゴールウェイ~コーク~ダブリン(ここまでは事業に参加)ダブリン~コーク~ゴールウェイ~ダブリン(ここまでを観光)~東京に帰国。
観光地としては、各3市内観光所・博物館等、ニューグレンジとタラの丘(世界遺産)、ジャイアンツ・コーズウェイ(世界遺産)、キャリック・ア・リード、ベルファスト、キラーニ国立公園・ケリー周遊(世界遺産)、アラン諸島、ハモ―の断崖、バレン、ダンゴーラ城、他、ダブリン最後の夜はアイリッシュ・ナイト・ディナーショーで締め括った。詳しくは参加者の紀行参照。
今回は、しっかり観光をすることができ、また、大使より市内レストランでのランチ、公邸でのディナーに招待して頂き感謝しています。また、事業について大使館職員により計画、地域での担当者、会場設営しっかりサポートして頂き事業を安心して進めることができたこと、日本大使館の三好大使、山田参事官を始め職員皆様に感謝申し上げます。(独り言:奇遇にも大使館の山光さんは府中町出身の方で、話が弾みました。)また、計画段階から帰国までしっかりとした工程を組んで頂いた山口能装束研究所の皆様に衷心より御礼申し上げます。
この事業のために厳しい稽古を重ね付いて来た参加者と長い事業を許して頂いたご家族の皆様に感謝申し上げ、参加者の紀行文にバトンタッチいたします。
参考に日ごとの歩数を紹介する。
4月18日 8,323歩 4月25日 2,834歩 5月 2日 9,862歩
19日 13,387歩 26日 7,992歩
3日 12,874歩
20日 15,651歩 27日 10,036歩
4日 13,441歩
21日 18,792歩 28日 11,504歩
5日 12,850歩
22日 10,306歩 29日 21,087歩 6日 10,560歩
23日 2,926歩 30日 16,051歩 7日 6,321歩
24日 9,103歩 5月 1日 9,316歩 8日 帰国歩数不明
公演について記す前にアイルランドの教育について話しておきたい。
アイルランドでは「子どもは国の資源だから」と唱えて、1960年代後半から国家財政が厳しい中でも国民に教育を普及させようという政府の方針により初等・中等教育レベルでの学費が無償となった。それまでは初等教育卒が多かった貧困層の子どもたちでも学校に行けるようになって国民の教育熱が高まった。初等教育にあたる小学校のことをプライマリー・スクール、中等教育にあたる中・高等学校のことをセカンダリー・スクールと呼ぶ。プライマリー・スクールは、法律上は6歳からの6年間だが、実際には4歳からの8年間通う子どもが少なくない。大半は市町村ごとに最低一つはある地元の学校に通う。先生と生徒の比率は平均で1対25と少人数のクラス編成である。 さて今回の公演先は、ダブリンの街から南方面に車を走らせること約40分で緑いっぱいの自然の中に位置している。
日本名:アイルランド日本語補習校
英語名:Japanese
School of Ireland Company Limited by Guarantee
住 所:Gaelscoil
Thaobh na Coile, Belarmine, Stepaside, Dublin 18
校 長:パティソン朋子
学校設立年月日:2011年(平成23年)4月2日
設立目的:アイルランド在住の日本人子弟または日本語で国語・算数・数学を学びたい子どもたちのための父母を中心として設立された。
公演先は、Gaelscoil
Thaobh na Coille ガルシコ タオブ ナ コール(プライマリー・スクール)で、共に教育するカトリック系の全アイルランド系の学校で2009年に現在地に移った。明るく広々とした大きな教室と子どもと教師のための適切な設備、多目的ホールと集合ホールがある。平日は4歳から12歳までの子どもが通い、毎週土曜日の9時から15時までアイルランド日本語補習校の子どもたちが通っている。 公演に先立ち日本大使館の方、校長先生ほか職員の方、保護者の方のご協力もいただき準備はスムーズに完了した。また、日本茶をいただきほっとしたひと時を味わうこともできた。いよいよ本番。皆、緊張感をもちつつ自分の演目に真剣に向かう後ろ姿が素晴らしいと思った。
演目は南京玉すだれ名所めぐり(二人組)、和妻「連理」、奇術、和妻「うどん」、和妻「紙片の曲」、玉すだれ体験と順調に進行し、南京玉すだれ基本演技でフィナーレを迎えた。控室の衝立越しではあるが、演技をするたびに「オーッ」「ワーッ」の拍手喝采が会場中に響きわたるのが肌でいや全身で感じられた。和妻「うどん」の時には、校長先生をご指名すると快く前に出てくださり、リズミカルにまた滑稽に半紙をちぎり丸められる姿に子どもも大人も笑いと声援があったというエピソードがあった。そして同行していただいた島さまとパトリックさまに南京玉すだれの布絵のお手伝いをしていただいたがテンポもタイミングもよく満点だった。幼児部40名、小学部20名、中学部9名、大人49名合わせて110名の皆様に感謝の公演が無事終わった。
ダブリンストリート公演
ダブリン⇒ゴールウェイ⇒コークと4か所で公演し最後はダブリンのグラフトン通り(Grafton Street)でストリート公演だ。グラフトン通りは、ダブリンの銀座ともいうべきところで終日歩行者天国になっている。 St.Stephen‘s Green Shopping Centre(ショッピングモール)やBrown Thomas(高級デパート)などが並び、路上ミュージシャンも腕を競う賑やかなショッピング街となっている。「さて、ここで私たちの演技をみてくださるかしら・・・」という期待と緊張が交錯しながらも時は進んだ。開始10前になったのでたっつけ衣装に雪駄姿の4人で創作玉すだれを演じて客寄せをした。功を奏して足を止めてみてくださるお客さんたちが集まってきた。そしていざ公演開始となった。ただこの日は暴風に近い風で、南京玉すだれは大丈夫だったが、特に和妻「うどん」は風よけにと障子の衝立や人で囲いを作って工夫したにもかかわらず半紙が飛ぶなど悪戦苦闘した。南京玉すだれの体験時間になると家元が流暢(?)な英語で体験の呼び込みをしたがお客さんは控えめでなかなか出て来られなかった。それでも何とか集まり体験となった。私たちは“ぁさて ぁさて ”の大きな掛け声をして雰囲気を盛りあげたが、ストリートの人々は淡々とよそよそしい雰囲気が感じられた。でも視点をかえれば、道行く人も私たちの演技を見て「何と素晴らしい日本の芸能だろう!!!」と思っていただいているかもしれないと自己満足している私である。 こうしてストリート公演を終えた。
その後、能装束研究所の山口様の「The World Costumes」の公演を興味深く聴いたのである。
記念事業公演 芝辻すみこ/梅本寿美子
於 ダブリン(アイルランド首都)
Experience Japan 日本とアイルランド国交60周年記念行事
ヨーロッパで2番目の広さを持つ(明るく愉快なタクシー運転手さん情報)公園での公演
前日に会場視察緑豊かで様々な鳥が飛び交い、花が咲き誇っている場所、親子連れでの散策、あそび、走っている方もいて、この国の心の豊かさが感じられる光景でした。公園の中には、800年前の建造物も存在し、その子孫の方が現在も住まわれています。(新たには、住むことはできないとのこと)ひとつの町といった広大な公園です。
大使館資料より・・・フェニックス・パーク(Phoenix Park)
周囲7マイル(11キロ)面積1.760エーカー(704ヘクタール)というヨーロッパ最大の公園であり、市民の憩いの場所となっている。園内には大統領官邸、警察本部、米大使館、動物園、高さ205フィート(61.5メートル)のウェリントン公戦勝記念碑(1817建設)、ヨハネ。パウロ法王の来愛の法王十字架等がある。 大使館の方には、大使館にてその仕事内容等も教えていただき、大変おせわになりました。
さて、いよいよ公演本番
(前日に、スケジュールの把握、宗家は、調整に深夜 プログラム作成…お疲れ様でした)日本大使館の方々や現地のボランティアの方々の協力を得て、公演にこぎつけました。
12:00~12:40 セカンドステージ出演
14:00~14:30 セカンドステージ出演
15:10~15:20 メインステージ出演 の3回公演です。
メインステージでは、アイルランド日本大使、アイルランド大臣、知識人等々の会議終了後即の時間帯に南京玉すだれ公演を組み込んでいただきました。古典芸能南京玉すだれ二人組・基本演技を演じました。山口氏の「これをみんとあかん」のおかげです。日本代表と思うと緊張です。平素から日々本番で取り組むことの重要性をひしひしと感じました。他に現地で和太鼓をしている方、太鼓とアイリッシュダンス融合の子どもたちのダンスもみられました。
サブステージ前広場では、フランクフルト店・パン店・飲み物店・焼きそば、むすび店 等々 屋台が並び大勢の人で賑わっていました。特に焼きそば売り場はながーい行列で、私たちは購入をあきらめました。あとでわかったことですが、ゴールウェイで「わっカフェ」という日本料理店を経営されているアイルランドに在住して19年の早川女史の出店でした。(ゴールウェイでお世話になった方)たっつけ衣装で会場内をかっぽしていると多くの方にカメラや声をかけていただきました。渡辺氏に至っては個別に現地のカメマラン?の撮影依頼もありました。現地の方の好みの女性だったかな?
書道会場も長い行列でした。この日、3万人近くの人出です。日本とアイルランド国交60周年の記念行事は、学生、現地のボランティアの方々の力で大成功だったようです。
首都ダブリン周及び周辺観光
公演は、22日から。18日に羽田空港からフランクフルト(ドイツ)を経てダブリンへ。アイルランドは、32の県で構成され、歴史・文化の違いで4つの地域に区分されている。
その首都周辺観光を行う。公演までには、日にちがあるので早速バスツアーに入る。ニューグレンジとタラの丘へ。所要時間7時間.現地で能の装束について講演される英語堪能の山口氏と早和子さんが、バス出発場所にまるで自分の庭のように案内して下さる。(スマホ位置ナビを駆使…ナビすごーい。それを使いこなす早和子さん。これまたすごーい) バスツアーの案内は英語で。ところどころ聞き取れるだけの私。内容なんてちんぷんかんぷん。子守歌に聞こえている。それでも実際に触れる空気感に感動を覚え不思議な気分になっていた。
周辺観光
世界遺産ニューグレンジへ ダブリンから北西へ60キロ 約5000年前の巨大な古墳群の代表ニューグレンジ。謎の渦巻き模様がみられる。その南には、ケルトの人聖地でアイルランドの人々にとっての心のふるさとタラの丘の遺跡がある。ニューグレンジの古墳の中は、不思議な空間でした。石の隙間からはいる光の動きで時間、季節を測ることができるように設計されているのです。時代は、エジプトのピラッミドと同じ。その現場にいき、歴史の重み、今、自分がいる「時」を・・・・・・・思うのでした。何かしら、ふくよかな観光客の方が中に入るのに苦労されている場面にほっとした私です。
市内観光
ダブリン城 1204年ジョン王によって建設 7世紀にわたってイギリス支配のシンボルだった。かってはバイキングの砦があった。石膏の装飾、美術品のオークの建具が素晴らしいとか。第1次大戦中は赤十字病院として、1922年から8年間は、裁判所のほんぶにもなった。現在では、大統領の就任式、国際会議の会場としても使われている。歩き疲れた私、入り口で休憩一人パンフレットで学習でした。せっかくここまで来てダウンとは。迫りくる歳には勝てず残念!
トリニティー・カレッジ (アイルランド最古の大学)1592年エリザベス1世創立
カレッジのオールド・ライブラリーがすごい。なにがすごいって? 大学の500万冊だって。ロングルーム(65メートル)には、大学内の蔵書のうち最古の20万冊がおかれているという。丁度蔵書の一部を開いている場面に出くわす。もっと丁寧にと思わずにはいられない扱いにちょっとガックリ。素手でパラパラでした。アイルランド最古のハープも見学。この国発行のユーロ硬貨のデザインになっている。
国立考古学・歴史博物館 紀元前2000年からのアイルランドの工芸品が収められている。
国宝のタラのブローチ(8世紀に作られたもの)は、アイルランドの金細工の最高峰とか。バイキング遺品等がある。日本と同じ海に囲まれた国だけにバイキング遺品に興味しんしんの私。日本漫画ルフィーを思い起こしていました。
ゴールウヱイストリート公演 芝辻かずゑ/玉井和恵
先日にダブリンより ゴールウエイに約1日かけて電車移動をする。電車の車窓から見る風景は、草原に羊や牛の群れ、それも何百キロも何時間も・・・・
子羊や子牛の姿がとても可愛い・・・
ホテル到着後、荷物を置き、翌日のストリート公演の場所の下見に行く。ストリートでは、何組かのアーティストが思い思いの演技や演奏をしていた。強風でとにかく寒かった。夕食は、一週間ぶりの日本食を食べて 心身ともに元気になり 翌日の公演に備えた。
ストリート公演当日朝、天候は晴れ時々曇り(雨の予報は無かったが公演後大雨)気温11°、体感温度はまだ低かった。前夜日本食を食べた わ カフェのお店を借りて衣装に着替える。衣装に着替えた後、本番会場まで移動する。出会う人達が 珍しそうに私達を見て写真を撮っていた。ちょっとしたスター気分になる。
さあ会場に到着。会場のセッティングも完了。
カフェの早川さん現地で活躍されているアーティストのマヤさん、芝辻よしこさん、芝辻すみこさんと芝辻かずゑで呼び込みの為ストリートを歩く。早川さんはラジカセで「さて、さて、さては南京玉すだれ♪」マヤさんは拡声器を使い現地語で呼び込み、私達は、すだれを打ち鳴らしながら歩く。強風で袖口から冷たい風も入り、手も冷たい。けれど、心は楽しく満足感いっぱい!!
いよいよ本番。珍しい衣装を着ている事もあり、4~50人の人達に楽しんで頂く。道行く人や周りのお店の前で食事されている人、二階から見ている人とたくさんの人だった。なんと!!アイルランドの国営テレビまで。翌日に放映されたらしいが、残念ながら見ることはできなかった。TV局が来たとのことで、プログラムを急遽変更。急な変更に対しても臨機応変に対応できる先輩方に私は驚く。また、パホーマンスの途中、後方より家元の演技を見て、基本を大事にしながら、周りの雰囲気を見て、人を楽しませる力の必要性を感じた。公演も終わり、わ カフェで着替えている時 外は大雨。私は「神ってる」と思いました。
コーク観光
ダブリンからコークに到着。正確には前回コーク大学の公演があったのでコークは2回目になる。観光としては1日目になる。アイルランドの第2の都市ではあるが、時間がゆっくり流れていた。ショップは日曜なので休みが多い。コークの街を散策する。教会で、玉すだれで5枚の桜を作り、パチリ記念撮影。
次の日、ケリー周遊路一日観光に出掛ける。途中、キラーニの街を1時間ほどの散策、小さな街だったが、気になる店も多く人も親切だった。2~3日滞在したいと思った。バスの車窓から見る風景は、またまた、草原に羊や牛の群れ。アイルランドに来て初めて遠方に山が見えた。その山が近くなり見ると木が無い。日本の山と大違い。大自然の中の滝や湖。生まれてたばかりの羊にも癒され心身ともにリフレッシュできた。もしも、アイルランドに訪れる機会があるならば、キラーニの街をもう一度歩きたい。
4回目UCC(ユニヴァースィティ・カレッジ・コーク) 芝辻よしえ/越智美枝
コーク大学は1848年にビクトリア女王の命により創設された大学でアイルランドの国立大学の先駆的存在。学生は23000人くらいで、大人になり40台以降で入学される方も多いとのこと。学内で出会う学生も、HIGHスクールを卒業した若者と、保護者か祖父母と言える年齢の方も多数おられた。お世話していただいたティル教授の部屋で着かえ会場へ移動する途中の学生たちに「ジャパニーズ パホーマンス レッツゴー」と声をかけ誘った。和妻も拍手喝采で、特に見ている方に参加いただく「うどん」は関心を示された。玉すだれ体験にも積極的で乗りも良く「あつ さて さて」の拍子に合わせて盛り上がった。日本から持参したお土産の折り紙色紙は「オー ナイス!」と参加できたことと共に喜ばれた。
ゴールウエイに到着
ゴールウエーはアイルランド西部の中心都市で大学都市としても知られ、75000人の人口の3/1が学生。細くて狭い道にはカラフルな店が並び、ストリートでは音楽・ダンスなどを披露していた。町の中央をコリブ川が流れ、鮭が取れ、白鳥などの水鳥もいる絶好の散策路。
アラン諸島に観光
ゴールウエーから1時間バスに乗り、その後45分小型フェリー(高速艇)に揺られて到着。アラン諸島は石灰岩でできた大、中、小の3つの島で構成されています。人口は800人。毎日強い風が吹きあれる場所で、元々は土のない岩盤だけの土地だったそうです。岩盤を砕き海藻と粘土を交互に重ねて土を作り、せっかく作った土が飛ばされないように石垣を築いて畑を守っているそうです。アランセーターもブランドになっていて、セーターには家々の網目や模様に特徴や意味があるようです。ドンエンガスは3000年以上前に造られた古代遺跡で砦の先は大西洋に面する断崖で、海面から87mの高さにあり、風も強く吹き、遮るものが何もなく、すごい迫力で圧倒されました。
巨人のテーブルとモハーの断崖観光
巨人のテーブルは太古の民族が自然石を立て、そこにお供え物をしていたようです。しかし巨人と言うから大きなものを想像していたけど・・・ちっちゃーい
モハーの断崖
アイルランドの西海岸。8キロにわたる断崖絶壁が大西洋に突き出ています。岩肌には黒い泥板岩と砂岩の層が美しいラインを描いています。ここはハリーポッター(謎のプリンス)の撮影地です。ダンブルドアとハリーが指輪を取りに行くシーンです。対岸には昨日行ったアラン諸島が見えました。バスツアーで巡った観光ですが、日本と違って驚いたことは、ガイドが居なく途中の説明など全てドライバー一人が行う事でした。「右を見て」「左を見て」と説明し、時には話が盛り上がり両手を離して・・・ドライバーさんハンドルはしっかり握って!と心でお願いしました。英語がわからないのでその説明が子守歌になったり・・・ 楽しい時間を過ごすことができました。